© 1999 by Masayasu AOTANI
「人生バラエティーに富め」―
京大のゴールデンボーイ青谷助教授マラソン・インタビューすけぼーのヤス(
Yasu the Skateboarder)、京大のゴールデンボーイ(The Golden Boy)、朱雀大路のDenise Rodman(Japan's Answer to Denise Rodman)、M.S.Revolution、幸運の青い谷(Aotani the Good Luck Charm)、人間セブンイレブン(Human Seven Eleven)、Jimmy等々。昨年5月に京大に赴任以来付いたあだ名の数が物語る様に、その風貌とスケートボードが短い間に多くの人達の注目の的となり、マスコミの取材も幾度と無く受けた青谷さん。今回はそのあだ名の意味と、マスコミでの活躍に付いて聞いてみました。その
3「朝日新聞からフライデーまで」Dream
:マスコミと青谷さんとの恋愛関係ですが、その馴れ初めから聞かせて頂けますか。青谷:前にも述べましたが、アメリカで一時広報・宣伝も担当していた為、
KUINEPや派遣留学の知名度を上げるのに、何とか旨くマスコミを利用出来ないかと考え続けていました。昨年5月に赴任以来、京大生や左京区の中学・高校生の間で、少しずつ自分の存在が知られて来ていましたが、夏休みが済んだ時点でもマスコミによる認知度はゼロだったと思います。大きな大学の多くがそうである様に、京大にも記者クラブなる物が有り、報道関係が10社程入っているのですが、何故か誰も自分の存在に気が付かなかったのです。記者クラブは時計台の建物に有り、留学生センターは道を挟んだすぐ西側なのですが。尤も、後から聞いてみると、自分がスケボーに乗っているのを見た人でも、どこかの大学院生だと思っていたとの事でした。(笑)Dream
:とても45歳には見えませんからね。それが或る時急に、マスコミに色々取り沙汰される様になったのですか。青谷:「なった」と言うよりは、「した」と言う方が正確です。自分は動作は素早くないかも知れませんが、行動力は有ります。丁度後期の始まる
10月にKUINEP新入生の為のオリエンテーションが有り、そこでKUINEPの学生さん達と彼等との交流に興味の有る日本人学生との顔合わせの様な物もやりました。しかし、それだけではメディアの興味を惹くのに充分ではないので、余興も必要と考え、京都大学応援団の演舞を留学生達に見せる事にしました。これで御膳立てが全部揃ったので、主に電話とFaxによってメディアに宣伝しました。ある種のPress Releaseの様な物を書き、マスコミ関係に流したのです。自分は当時は全く無名でしたから、自分の力だけでは駄目だと考え、国際教育プログラム委員長の瀬地山先生にも応援を頼みました。御願いするのが遅すぎたので、記者会見等は無理でしたが、先生に京大の記者クラブの人達に直接御願いして頂き、それ様のPress Releaseも持って行きました。この時、記者クラブという物が有るという事を初めて知りました。それだけでも、瀬地山先生に御願いした価値が有りました。Press Releasesは周到に真面目な物と面白おかしい物とを用意しました。真面目な方はKUINEPが何であるかを紋切り型に説明しただけでしたが、もう一つの方は、そのままでも週刊誌の記事になる様な体裁にしておきました。Headlineも「応援団乱舞、金髪・スケボーの担当助教授」というもので、早い話が撒き餌をした訳です。京都ではやはり京大で起こった事は話題になり易いですし、兎に角金髪スケボーの助教授という意外性が受けて、新聞社数社とローカルテレビ局一局が取材に来てくれました。その時に実物を見た読売新聞の記者が、その一週間後に今度は大きな写真入りで「茶髪の助教授スケボー通勤」という記事を書き、これを機に今も続いているマスコミ攻勢が始まりました。Dream
:企業での広報の経験が役に立ったとおっしゃっていましたが、そういう事だったのですか。マスコミの一員として、先生の様に記事になる情報を提供して頂けると非常に助かります。青谷:自分としては、マスコミとの共生関係が一番大切だと考えています。こちらから情報を提供したり、取材に積極的に協力したり普段からしておけば、取材依頼をかけた時にも、無理を聞いて頂き易いのは当然ですから。尤も、
give and takeというのは、どんな協力関係においても大切でしょうが。そういう訳で、勿論限度はあるとはいえ、個人的にはマスコミ攻勢を大いに歓迎しています。記者が来たりしても嫌な顔をしないので、よく全然関係のない事で記者がひょっこりとやって来ては、話をして行きます。Dream
:記者の方が雑談に見えたりするのですか。青谷:向こうもプロですから、純粋な雑談という事は少ないのですが、「今日はこんな事を聞いて来ました。先生は何か聞いていませんか。噂で結構です」といった感じの訪問が多く有ります。本当に噂で良いらしく、風の噂的な話を喜んで聞いて行ってくれるので、こちらも楽です。最近京大では第三キャンパスと言って、新しいキャンパスの候補地を物色中ですが、これについて何か聞いていないかとよく尋ねられます。また、あの有名な梅園教授が亡くなった時には、その死因をめぐって議論が百出し、自分も意見を求められました。結局自殺という事になったそうですが。ところで、マスコミと話していると、内部情報等も含め、こちらが知らなかった情報が入って来る事もよく有ります。例えば芥川賞の平野啓一郎がどんな人間であるかとか、評議員会はいつ開かれるとか、なかなか勉強になります。まあそういう訳で、マスコミ攻勢は歓迎します。
Dream
:そのマスコミ攻勢について説明してください。青谷:読売新聞と時を同じくして朝日新聞が「学生を褒めてその能力を伸ばしたい」というもっと真面目な記事を書きました。それらがそのままの形で、あるいは抜粋という形で色々なメディアに伝播して行った様で、色々な人が、飛行機の中で何かの新聞のアジア版で見たとか、読売新聞の東京版に出ていたとか教えてくれました。特に効果が有ったのは、読売新聞の関東版で、やはり日本のメディアの中心は東京に有りますから、色々な人達の目にとまった様です。中でも大きかったのは
Daily YomiuriとFridayです。Daily Yomiuriは今までのところ唯一の英語メディアによる報道又唯一のカラー写真でした。更に
Fridayは国民的写真週刊誌等と言われ、60万部の発行部数を誇る物ですから、色々な人達が見てくれました。その間学生さん達の新聞である「Gakushin」に書かせて頂いたり、京大学生新聞に出たりもしました。これらは全てほんの2か月程の間に、すなわち1998年の十月と十一月に起こったものです。Dream
:最初は新聞や雑誌が中心だった様ですが、テレビやラジオは如何でしたか。青谷:新聞等の方が数的には多かったのですが、一番最初の報道は、
KUINEPのオリエンテーションの折の、近畿放送テレビの五時のニュースで、つまりテレビが新聞等を押さえて一番乗りだった訳です。又数は少なくともインパクトは大きいので、必ずしも新聞や雑誌が中心とも言えぬと思います。更に、読売新聞に出てすぐにラジオから御座敷がかかりましたから、一応色々なメディアが、並行してカバーしてくれたと言って良いでしょう。尤も、やはり新聞等よりは、テレビやラジオの方が、出して貰う確率は低い様です。Dream
:そう言われると、どんな確率か尋ねたくなるのですが。青谷:特にテレビやラジオだけを狙って取材依頼をする訳でもないので、確率と言われても難しいのですが、これまでに数える程しか出して貰っていませんから、やはり確率は相当低いと思います。
Dream
:先生でも数える程ですか。青谷:「先生でも」と言われても、どう答えれば良いのか。自分はそんなに偉くありませんから。(笑)ニュースを含めても
4回ぐらいです。Dream
:ええっ、そんなに少ないのなら全部教えて下さい。青谷:出た物全てですか。
Dream
:はい、是非。青谷:物好きな人だ。(笑)近畿放送のニュースの後、最初に声がかかったのは大阪の朝日放送ラジオで、昼過ぎの「
Honky Talk」という帯番組の中に「おじゃまっぷ関西」というコーナーが有り、移動放送車が京大に来て自分の話を聞くという25分程の番組でした。すぐその後、今度はやはり大阪の毎日放送の「男子禁制−噂のマシンガン」という深夜のテレビ番組で写真だけが放映されました。局にインタビューされた京大の女子学生が自分の話をし、局側では金髪・スケボーなど信じられないという事で、取材に来たというよりは、確かめに来たという感じでした。朝日は十月、毎日は十一月だったと思います。次は衛星チャンネルの「京都チャンネル」で、これまた昼の「京女かわら版」という帯番組の中の「京の元気さん」という20分弱のコーナーに出ました。この時「京都チャンネル」はまだ出来たばかりで、試験放送の様にただで放送していた頃の事ですから、果たして何名が見てくれたかは大きな疑問です。「京都チャンネル」も十一月末だったと思います。その後暫くお座敷がかからず、次に出たのは二月でした。大阪読売テレビに「大阪ほんわかテレビ」という人気番組が有り、その中で「京都大学の秘密兵器」として紹介されました。ほんの2、3分でしたが、人気番組だけあって、これはかなり反響が有りました。ラジオやテレビに出たのは、今のところこれが最後です。Dream
:新聞や雑誌の主な物には、他にどんな物が有りますか。青谷:今年になってから、朝日新聞の「模索する京大」というシリーズの冒頭で紹介されたり、京都新聞に「日本の国際化」という三回完結の連載をしたりしました。また、五月の連休明けには「週刊宝石」に
1ページの記事が載りました。これには裏話が有ります。「大阪ほんわかテレビ」を見たレポーターが取材依頼の電話を入れて来たのですが、最初は「フォーカス」という雑誌に載せたいという事でした。ところがこの「フォーカス」は「フライデー」のライバル誌で、既に「フライデー」に出たと分かった途端に、丁重に断られました。一応「フォーカス」は全国誌なので残念でしたが、それはそれで仕方が無いと思っていたところ、その日の夕方に電話が又かかり、今度は「週刊宝石」が欲しがっていると言われました。と言う訳で、目出度く「週刊宝石」に出る事になったのです。Dream
:これまでで一番嬉しかった記事、又は印象に残った記事といったら何になるでしょうか。青谷:インパクトは余り無かったのですが、京大新聞の新入生歓迎号の一面に「新入生は京大国際化の主役」という記事を書かせて頂いたのは、個人的にはとても嬉しい出来事でした。
Dream
:Bay Areaでも色々なマスコミに出られた様ですが。青谷:こちらも取材依頼の賜物ですが、これまで日米時事新聞、北米毎日新聞、そして「月刊もん」に出ています。
Berkeleyにコンドミニアムが有る関係で、又UC Berkeleyとの共同研究等で、年に3回くらいはBay Areaに来るので、これからもこちらのマスコミの皆さんとは、仲良くして行きたいと考えています。京大に後何年勤めるか分かりませんが、幾ら長くとも5年と踏んでいます。5年間一生懸命やって、結果の如何に拘わらず、又Bay Areaに戻るつもりですので、こちらでの評判が悪くなっては困るのです。仕事も又探さねばならないし。(笑)そのうち、テレビやラジオにも出てみたいと思っています。声も顔ももうひとつですが。(笑)ところで、Bay Areaのマスコミに出ていて、とても助かった事が有ります。パスポートの更新でSan Franciscoの領事館に行った時の事、明日は日本に帰るという日で、ドルを全部使い果たし、しかも銀行口座の方も空っぽという状態でした。従ってパスポート発行料として$110請求された時には、大いに慌てました。事情をその通り説明したのですが、風貌が風貌だけに真面目に取り合って貰えず、「お金が無いのなら、日本の空港からどうするのですか。誰かが迎えに見えるのですか」といった質問までされる始末。勿論自分の馬鹿らしいミスなので、怒り出す訳にも行かず困り切っていたところに奥のデスクから「ああっ、この間新聞に出ていた方ですね」と助け船。「クレジットカードはお持ちですか」
「はい」
「それでは、銀行に行ってそれで
cashを貰って来てください」「そんな事が出来るのですか」
「はい、御存知有りませんでしたか」
アメリカに
20年も住み、勿論クレジットカードもしょっちゅう使っていたのに、こういう基本的な事を知らなかった自分。尤も、金の管理はしっかりやっており、カードでcashを引き出す必要など、この日まで一度たりとも無かったのです。Dream
:お金の管理が良くないからでしょうか、私はそれは常識だと思っていました。(笑)何れにせよ、マスコミが役に立ったというのは、その一員として光栄です。これからも色々なメディアで活躍されることを、お祈りいたします。京都では随分有名になられた様ですから、次は全国制覇ですか?(笑)青谷:個人的な認知度という意味で、今目標としている事は二つ有ります。ひとつは太平洋を挟んだ二つの故郷の大阪と
Bay Areaでもっと知られる事、そしてもうひとつは英語メディアで報道される事です。大阪生まれ育ちであり、京都は大阪のすぐ隣に有るのに、何故か大阪での認知度は京都の半分も無く、自分としてはこれが残念でなりません。Bay Areaについては、先程お話しました様に、既に何度か報じられており、Dreamさんの助けも得て、これから益々広く自分の顔を知ってもらおうと意気込んでいるところです。Dream
:英語メディアでの報道は、あまり無いのですか。青谷:先程お話ししましたが、日本の
Daily Yomiuriが本家の読売新聞の記事を要約翻訳した物を出した事が有るだけです。唯一のカラー写真で、そういう意味では大いに良かったのですが、単発ではその意義も半減してしまいます。京大と海外の大学、又日本と外国の架け橋的な役割を果たすのが今の自分の任務ですから、英語で紹介してもらう事が非常に大切です。そのうちUC Berkeleyの学校新聞であるDaily Californianにでも取材依頼をかけようかなどと考えているところです。まあ一夜にして有名にはなれないでしょうが、出来ればSan Francisco Chronicleくらいに出たいと考えています。話は変りますが、マスコミに紹介された御陰で、色々な学生さん達が親しく話し掛けて下さる様になったのは、大変な収穫でした。彼等に国際教育プログラムや派遣留学について、話すきっかけが出来るからです。また、学生さんや近所のコギャルたちに沢山あだ名を付けてもらったのも、とても嬉しく思っています。Dream
:コギャルにあだ名を付けられたのですか。是非詳細を教えて下さい。青谷:青谷の異文化間コミュニケーション活動の一環としての、援助交際の賜物だという噂は、とても面白くて良いのですが、一応否定しておきます。(笑)
Dream
:なんだ、つまらない。(笑)青谷:そんな風に見えますか、やっぱり。(笑)コギャル達に付けられたのは二つ有り、ひとつは「
M.S.Revolution」、もうひとつは「幸運の青い谷」です。M.S.Revolutionは勿論女子高生達に人気の有るT.M.Revolutionをもじった物で、「Masayasu starts a revolution.」の意味です。因みに、T.M.Revolutionのター坊をもじった「ターボ=turbo」というファンクラブに対抗して、M.S.Revolutionには「タボー=多忙」というファンクラブが有る事になっています。(笑)Dream
:女子高生の想像力と創造力ってすごいですね。青谷:はい。「幸運の青い谷」に至っては詩的ですらあると思いませんか。(笑)これは京大の青谷先生がスケボーに乗っているところを見ると、幸運が舞い込むという単純な意味で、早朝や深夜にスケボーに乗る事が多い為に、滅多に実物は見られないというところから出た物だそうです。個人的には、その響きがとても気に入っています。
Dream
:でもあだ名なら京大生も負けてはいない。青谷:どうでしょうかね。(笑)どうもクリエイティビティという点ではコギャル達に軍配を上げたい気がしますが。又援助交際の嫌疑がかかると困るので、ここは赤勝て白勝てという事で。(笑)京大生が付けたのは「すけぼーのヤス」、「京大のゴールデンボーイ」、「朱雀大路のデニス・ロドマン」、「
Jimmy」等です。「すけぼーのヤス」は一番最初に付いたあだ名と言う意味で、英語で言うとsentimental valueが有ります。自分が赴任した時、「正妥」という名前を見て、如何に天下の京大生でもこれは読めなかったらしく、男か女かすら分からないという事で、留学生センターに出入りする学生さん達の間でちょっと話題になりました。やがてそれを「まさやす」と読むのだという事を知った人達が、友達に自慢気にその話をし、スケボー・金髪と共に、少しずつ「まさやす」が知れ渡って行きました。その「妥」を「ヤス」という考え難い読み方と、44歳の京大の教官がスケートボードに乗るという理解し難い事実とを組み合わせ、「すけぼーのヤス」が出来たそうです。「すけぼーの」は平仮名、「ヤス」は片仮名で書く点に特に注意して下さい。と、このあだ名の説明をしてくれた文学部の女の子に言われましたので、申し添えておきます。折角のあだ名が、その文学的意味を失うと大変ですから。(笑)「京大のゴールデンボーイ」は自明。しかし、「朱雀大路のデニス・ロドマン」は、NBA(アメリカのプロバスケットボール)のファンでないと、分かりにくいのではないでしょうか。元世界チャンピオンのシカゴブルズで活躍していたデニス・ロドマンは、NBAのbad boy(悪太郎)と呼ばれ、その奇行と髪を様々な色に染めて出て来るので有名です。給料は天と地ほど違いますが、自分も或る意味では京大の悪太郎なのでしょうかね。でも、そう言われるのも、それぐらい元気が有ると考えると、一寸嬉しい感じがします。ところで本当は朝夕スケボーに乗るのは、東大路沿いなのですが、「朱雀大路」がいかにも京都らしく、これも気に入っています。「人間セブンイレブン」は、週七日一日二十四時間オープン、そして閉店日無しという意味で、月月火水木金金の多忙さを表した物です。今ではあだ名として定着しましたが、元々は自分で自身の多忙さを描写した表現に過ぎず、あだ名ではありませんでした。最後に「Jimmy」ですが、何故か分かりますか?Dream
:アメリカ帰りという意味なら、TommyでもJohnnyでも何でも良いし、ちょっと分かりかねます。青谷:実はこれは、「地味」の音訳だそうです。(笑)その昔どこかの高校に「
Carney」とかいうあだ名の先生が居て、それは彼が「蟹」に似ていたからだそうですが、「Jimmy」も似たり寄ったりです。勿論自分が地味という事は有りませんので、ある種の皮肉というか、言葉の遊び的ひとひねりなのでしょうが。と言う訳で、僅かの間に様々なあだ名が付き、自分でもやや戸惑いを感じているところも有ります。でもまあ色々呼び方が有った方がメディアは喜ぶでしょうから。自分も結構楽しいですし。学生の皆さんに、頭の堅い中年男には到底出来ない様な発想をして頂き、とても有り難いと思っています。その風貌と言い、趣味と言い、話題性に富む青谷さんがマスコミを歓迎して下さるというのは、その一員として非常に有り難く思います。企業で広報もやったと言われるだけあって、マスコミへのアピールの仕方、彼等への対応等も、抜け目無くなさっている様です。積極的にメディアを利用しようとするアグレッシブさだけでも、これまでにない全く新しいタイプの国立大学教官であり、日本のマスコミに持て囃される理由が、同業者として良く分かります。様々なあだ名について楽しそうに話されるのを見て、ここにも青谷さんの「人生バラエティーに富め」という基本姿勢が、非常に良く現れていると思うと共に、本当に学生さんがお好きなのだと強く感じました。次回は、伝統の町京都という恵まれた環境の中で、生粋の大阪人の青谷さんが、どの様にその文化に溶け込み、京都人の顔と大阪人の顔とを巧みに使い分けておられるのかについて、お話して頂きます。