© 1999 by Masayasu AOTANI
「人生バラエティーに富め」―
京大のゴールデンボーイ青谷助教授マラソン・インタビュー先月号では、大学院一年生までの日本での
24年、そしてアメリカで過ごした20年の体験談を披露して頂きました。その間5つの大学院に在学し、4つの短期大学と11の大学で教鞭を執り、New YorkとBay Area で企業に勤めるなど、正に「人生バラエティーに富め」を地で行く活躍でしたが、最後に勤めた携帯デバイスの会社はたった3ヵ月で首になったというところまで、お話を伺いました。いよいよ今月は青谷さんが母校京都大学に引き摺り戻されます。そこでゴールデンボーイを待ち受けていた物は…。その
2 「京大の女子学生はファッションモデル」Dream
:Geoworksを解雇になってから、京大就職までのお話を差し支えの無い範囲でお聞かせ下さい。青谷:差し支えの無い範囲ですか。自分の知る限りでは、話せないような事はやっていませんが。(笑)
Dream
:では、洗いざらい全部聞かせて下さい。(笑)青谷:実は京大留学生センターの話は、随分前から出ていました。御存知の様に自分自身が京大卒ですから、京大には知っている人が多数居りまして、折に触れその人達より京大の様子は聞いておりました。留学生センターが人を募ると言う事も、風の噂に聞いてはいましたが、最初はあまり興味をそそられませんでした。アメリカを、と言うよりは
Bay Areaを離れる気が無かった上に、数学とはまるでかけ離れた分野での仕事には、興味が持てなかったからです。しかしながら、アメリカでの大学関係の就職活動が難航するに連れ、年齢という物も含め、自分の限界を強く感じる様になって来ました。平たく言えば、自分の力では到底Berkeleyや京大の様な有名大学の数学の教授にはなれないと、はっきり認識したという事です。Geoworksに勤めた動機の所でも述べましたが、勉強する気の無い学生達のお付き合いにはうんざりしていましたので、それなら京都大学で優秀な学生さん達の手助けをするのも悪くは無いなと考え、一応まともな動機をでっち上げて応募しておきました。でっち上げと言うと聞こえは悪いですが、もし京大に勤めたらこういう事がしたいという作文を求められた訳で、実際に勤めたいかどうかは別として、確かにもし勤めたらやりたい事を書いたので、文句はないだろうと言うのが、自分の開き直った言い訳でした。ただその時点では、どちらかと言うとそんな形でしか出来ないのなら、京大には戻りたくないという気持ちの方が強かったと思います。ところが不思議な物で、次々と国際化という意味での京大の改革案を出している内、こんな仕事もそう悪くはないなと思える様になって来たのです。その上、長男の自分は、とうとう70の声を聞くようになった両親の事も大変気になり始めていました。Dream
:それで京大に戻る決意をなさったのですね。青谷:というところまでは行かなかった。(笑)実はこれは
Geoworksに勤める前の事で、scienceを完全に離れてしまうのにはどうしても抵抗が有り、もう一度だけscienceらしき事をやろうと思って入ったのがGeoworksだったのです。正直な人なら、その時点で京大の方は辞退しただろうと思うのですが、やはり少しは未練が有ったのでしょう、京大側が海外から雇うという事で、事務手続き等でもたついているのを良い事に、いつまでも引き伸ばし続けていました。Dream
:やはり国立大学ともなると、ややこしい事務手続きが有るのでしょうね。それにしても、海外からとはいえ日本人なのにそんなに大変だったのでしょうか。青谷:その辺がよく分からないのですが、給料を決めるだけでも数か月かかっています。例えば何か米国での仕事上のタイトルを出す度に、日本では何に当たりますかと尋ねられました。留学生センターの教授の方の説明では、給料を決める表の様な物が有り、その表に載っていないタイトル等はどうしようもないそうです。事務の無能さと硬直した官僚体制の産物らしいのですが。御陰で随分時間稼ぎが出来ました。最初は前年の
10月からと言われていたのに、それが年が明けても一向に動く気配すら見えず、とうとう新学年の4月1日にも間に合わなかったのです。その間に自分はGeoworksに雇われ、3ヵ月でスピード解雇された訳で、日本の国立大学とアメリカのハイテク企業との、雇用態度の対照がとても面白いと思いました。Dream
:面白いと言い切ってしまうところが如何にも青谷さんらしいですが、Geoworksからの解雇で京大に帰る決意を固められたと考えて宜しいのでしょうか。青谷:間接的にはそうですが、
Berkeleyにコンドミニアムも買ってあったし、先にも述べました様にBay Areaを離れたくなかった為にまだ職探しを諦めはしませんでした。実際二度程インタビューも受けたのですが、弱小大学はいや、自由が無いといやと大した学者でもないくせに理想だけは高かったので、今から思うと満足できる職が見付かる訳も有りませんでした。と言うよりは、当時でも実はそれは分かっていたのですが、一応捜す努力だけはしておかないと自分で納得できないといった、そういう状況でした。無駄な職探しをしたからと言って、誰に迷惑がかかるという訳でもなしという居直りだったのではないでしょうか。尤も、事実上はもう京大しかないと観念していました。Geoworksに解雇されたのは3月中旬でしたが、サラリーは3月一杯くれたので、3月中は論文書き等に充て、4月から又バイトでも良いから何かしなければと考えていたところ、新年度に間に合わなかったという事でさすがに京大側が焦り出し、あれよあれよという間に給料も決まり、5月16日より採用という事になりました。実際は7日間の猶予が有ったので、5月21日を仕事始めと勝手に決め、SFOから飛び立ったのは1998年5月18日でした。母校に帰るだけでしたから、そういう意味での不安は有りませんでしたが、暫くBay Areaともおさらばかと思うと感無量でした。20年ぶりの日本、20年ぶりの京都大学でしたから。Dream
:いよいよ日本での生活が始まった訳ですね。久しぶりの母校は如何でしたか。青谷:京大は、理学部の一部や文学部が、京都市内の基準で言うと準高層建築になったとか、一部の女子学生がファッションモデルまがいの格好をする様になったとかいう、表層的な変化を除いては、昔とそれ程変っていない感じがしました。
Dream
:それは驚きました。昨今の京大には、ファッションモデルの様な女子学生が居るのですか。青谷:いえ、あくまでも服装だけの話ですから。(笑)あっ、でも女子学生に気に入られたいから、「京大の女子学生は皆ファッションモデルの様で、悉く才色兼備だ」と青谷が言ったと書いてくれませんか。(笑)気になって研究が手に付かないとか、適当に宜しく御願いします。(笑)
Dream
:それでは、セクハラにならない程度で。(笑)それにしても真面目さとひょうきんさの同居というか、青谷さんはそういう意味でも本当にユニークな方ですね。青谷:真面目
phaseとふざけphaseの瞬間切り換えが激しいので、真面目なのかふざけているのかまるで分からないとよく言われます。京大生の頃も、指導教官に「つかみ所の無い人間である」と評されたりしていました。Dream
:のろまなのに切り換えは速いのですか。(笑)青谷:自分で切り換える時はそうです。(笑)周りの切り換えについて行けない事は有りますが。皆が笑っているのに、一人取り残されて大層真面目な顔をしている事が多々有ったので、学生時代には「悟りの青谷」とか呼ばれた事も有りました。(笑)そうかと思うと、皆が真面目な話題に戻った頃に一人まだ笑っていたりして、バレーボール並みに「青谷の一人時間差」などとも言われていました。(二人大笑)兎に角、京大はそれ程変ってはいませんでした。(と急に真面目になる。)
Dream
:それでは、俗に言う逆カルチャーショックとかは無かったのですか。青谷:科学系のアカデミアは、日本でもアメリカでも然程変りませんから、そういう意味では有りませんでした。それよりは、渡米前に日本で一度も社会人をしなかったので、日本という国で一社会人として暮らす、という意味でのカルチャーショックの方が大きかったかも知れません。尤もこれとてやはり大半は表層的な物で、例えば銀行に印鑑を持たずに行ったとか、回覧版に署名せずに次へ回したとか、カルチャーショックと呼ぶには余りにも馬鹿らしい事ばかりです。もともと理学部に行く様な人は、我が道を行くタイプが殆どなので、あまり回りのカルチャーがどうとかいうのは気になりません。一番大事な自分個人のカルチャーを見失わなければ、それで良いのです。
Dream
:大気圏ならぬ日本文化圏への再突入は、青谷さんにとっては大したイベントではなかったのですね。それでは、留学生センターでの職務に付いてお話頂けませんか。青谷:自分は留学生センター教官である前に、京都大学の教官ですから、専門分野の研究と学部生・院生の指導が先ず二本の柱として有ります。その上に留学生センター教官としての特殊任務である、留学生の指導・留学希望者の援助・国際交流・京都大学の国際化等が加わる訳です。留学生センター教官としての職務ですが、具体的には京都大学国際教育プログラム
(Kyoto University International Education Program = KUINEP)の運営に係る包括的業務と、京都大学派遣留学制度の推進が中心的な物で、更に京都大学全体の国際化に色々な形で寄与する事が期待されています。KUINEP(いかにも日本人らしく、クイネップと発音しています)というのは、京都大学と学生交換協定を結んでいる海外の大学からやってきた学生達と日本人学生達が一つの教室で共に学ぶ物で、京大への留学に日本語を要求していないので、講義は全て英語です。なかなかその状態に持って行けないのですが、日本に留学しても自国で所定の年限で卒業出来る様にするのが目標なので、理科系から文科系まで幅広い講義内容を目指しています。講義は全学共通科目と呼ばれる講義群の一部で、京大生なら誰でも取れるようになっています。よく間違われるのですが、これは外国人に日本の文化や伝統を教えるものではありません。その為には日本語及び日本文化研修というプログラムが別に有りますから。実際自分の講義はQuantitative Management Science、Probability and Statistics、そしてConceptual Modern Physicsと、日本の文化や伝統には直接の関わりは全く有りません。Dream
:でも日本の新聞や雑誌でKUINEPは外国人に日本の文化や伝統を紹介する物であると読んだ様な気がしますが。青谷:それが問題なのです。いくらこっちが説明しても、外国の学生さん達が日本文化以外の物を習いに日本に来るというのが、どうしても記者の皆さんの頭に馴染まぬらしく、最初に某新聞社が間違った記事を出した事も有って、次から次へと同じ事を書かれて困っています。大体日本の文化や伝統を教育するのが目的なら、その為に数学者など雇う訳が無いと思いませんか。
Dream
:それはその通りですね。それでは、うちはちゃんと書きますので御安心下さい。(笑)KUINEPにはどの様な留学生の方が参加なさっているのですか。青谷:今年はアメリカとカナダから
7名、オセアニアから4名、アジアから2名、ヨーロッパから10名という内訳でしたが、毎年よく似た比率です。University of Californiaが京大の最大の交換留学パートナーで、KUINEPに3名、一般留学で3名の計6名となっています。今年もUC Berkeleyから3名、UCLA、UCSD、そしてUCSBから各1名の合計6名が京大で学んでいます。日本に来ている留学生の90%がアジアからなので、世界の人口分布から考えても、例えばもっと欧米からも来て貰いたいというのがこのプログラムの設立理由の一つでしたが、自分には全く理解できない理由で、文部省等が20名程度に参加者数を押さえている為、そのインパクトには限界が有ります。因みにKUINEPの設立趣旨としては、(1)主に非漢字圏の人達の様に、日本語が苦手な人、更に日本語の知識がゼロの人でも、興味が有れば日本に留学出来る様にする、(2)日本人学生と留学生に同じ講義を取らせる事により、国際交流と日本人学生の国際化を促進する、(3)英語による講義に慣れさせる等、教官陣の国際化を図る、(4)日本語の出来ない留学生のサポートを通して、事務の国際化を目指す、(5)学際的な科目を英語で提供する事により、全学共通科目全体を活性化する、等が挙げられ、要するに留学生受け入れの促進と大学全体の国際化・活性化の為のプログラムであると言えます。Dream
:アメリカと言うか、カリフォルニアの学生さん達もお世話になっているのですね。青谷:交換留学制度なので、逆に京大生もアメリカ、特にカリフォルニア、で大変お世話になっています。
Dream
:それが先程の派遣留学と言う物ですか。青谷:そうです。海外の交換留学協定校への半年から1年間の留学の手助けを京都大学が行い、ハードルを低くしてあげる事によって、学生さん達が海外にとびだし易い様にというのが基本理念です。この頃はかなり人気が出て来て、
KUINEPと同じくらいこちらの業務が繁盛しています。元々の交換のスピリットからすると、物々交換では有りませんが、学生さん一人送り出す毎に一人その大学から受け入れるというのが理想ですが、今のところ京大生で留学する者が少ないので、輸入超過です。そういう意味では派遣留学への関心が高まっている事は、非常に好ましい現象だと言って良いでしょう。我々は冗談でよく「人質交換」と言っていますが、例えばUCからの留学生の待遇を良くしておかないと、京大からの交換留学生のUCでの待遇に響くかも知れないので、交換留学生のお世話は、未だ至らぬ事も多いとは言え、非常に気合いを入れてやっています。その様な形での留学生との接触を通して、教官・事務官・学生それぞれが外国籍の人達の扱いに慣れ、更には彼等の属する異なった文化に触れる機会を持ち、それが京都大学全体の国際化に繋がれば、留学生センター教官として本当に嬉しいのですが。明らかに第一志望ではなかった留学生センター。しかし勤めた以上、京都大学の国際化に大いに貢献しようという意欲がひしひしと感じられ、「青谷さんって、本当はとても真面目な人なのだ」と改めて感心してしまいました。今回はサブタイトルの割にはえらく真面目なお話が続きましたが、次回は青谷さんのマスコミでの活躍等を中心に軽い話題を満載してお送りします。