© 2001 Masayasu AOTANI

京都発

「世紀末の京大」というタイトルで書いて来たこのページも、新世紀を迎え模様替えする事になりました。新タイトルは「京都から発信された」情報という意味で、発信源はともかく、内容については、必ずしも京都のローカルな物のみにこだわらず、日本に関する事全般で興味深いものがあれば、自由に取上げたいと思います。但し、時々気まぐれな随筆が入ったりするのはこれまで通り。と言う訳で、心機一転、今世紀も宜しくお願いします。

さて、一回目は京都色豊かな芸・舞妓さんのお話です。

その一:おいでやす

同じ京大の教官でも、故今西錦司さんなどは、足繁く通われたそうですが、ぼく自身は実は花街に行った事がありません。しかし、京都に住んでいると花街の話は自然と耳に入って来るわけで、耳学問だけでも随分な情報量で、他府県の人達には通に見えるらしいです。そこで、その“通”の知識の一端を、以下に開陳致したいと思います。

五つの花街

上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、そして宮川町が現在の京都の花柳界で、300年あまりの歴史があり、北野をどり、都をどり、祇園をどり、鴨川をどり、京をどりが有名です。特に都をどりは、Cherry Danceとしてアメリカでもよく知られています。この五花街をあわせると、舞妓さんの数は約60名、芸・舞妓をあわせると300名ほどおられるそうで、彼女達は自分達のコミュニティーを「さと」、それ以外を「まち」と呼んで、独特の文化の中で生活しています。

ところで、「水商売」という言葉で、例えばお酒をつぐだけのホステス達と、芸・舞妓を一括りにしてしまうのはナンセンスです。芸・舞妓は日舞・邦楽に秀で、「その芸のレベルと練習の厳しさは、歌舞伎役者のそれにも匹敵するものだが、世間の偏見の故に、人間国宝や芸術院会員が出ないのである」と主張する方すらおられます。芸・舞妓は「バーの女の子」ではありません。増してや売春を業とした島原の太夫とは全く性格を異にするものです。

さてこの花街ですが、昭和33年に売春禁止法ができるまでは、役者や芸・舞妓や遊女が混住していた界隈が「廓(くるわ)」と呼ばれており、したがって現在の様に「廓すなわち遊女」という意識は有りませんでした。今でも芸・舞妓さんたちの多くは、自分達の街を誇りを持って「くるわ」と呼ばれます。

舞妓さんと芸妓さん

ワープロで「まいこ」は「舞妓」とすぐに変換出来ても、「げいこ」から「芸妓」は出て来ません。舞妓ほど通りが良くないようですが、実際には芸妓さんが真打であり、舞妓とは芸妓になる前の15才から20才くらいの修行中の少女で、舞だけを披露するのでこう呼ばれました。但し、京都の花柳界でも、舞妓ということばの歴史は浅く、大正時代に始まったそうです。

舞妓さんがこれほど有名になった理由は、やはり色とりどりのかんざしや江戸末期の町娘の姿を伝えるだらりの帯のはなやかさでしょう。若くて見た目が派手な舞妓は写真家達の理想の被写体でもあり、ある撮影会では、他府県からの参加者が多過ぎたため、結局京都からの参加のみに規則を改めたそうです。

変身舞妓

舞妓さん変身スタジオには若い女性の列が絶えません。外出もできるのですが、本物の舞妓さんとの区別が容易でないため、喫煙や、言葉遣いの汚さなど、変身舞妓の業界での評判は良くないようです。はっきりと変身舞妓だと表示してくれとの要請が、度々出ています。

ところで、毎日一人くらいは強い変身願望をもった男の客も来るという話で、一応お客様なので、追い返したりはせず、「美の追求のお手伝いをさせて頂いています」との事でした。

芸・舞妓の日常

夜のお座敷は当然ですが、昼間も漫然と過ごしている訳には行きません。長唄(唄と三味線)、お茶、日舞、笛、琴、鼓、大鼓、小唄、端唄、常磐津、清元と習える芸の種類には限りがありませんから、お稽古事や先輩格の使い走り等で、席の暖まる暇も無いそうです。舞専門の「立ち方(たちかた)」と唄や三味線が専門の「地方(ぢかた)」がいますが、もちろん多芸が理想で、8つも9つもお稽古事を抱えている人は、お茶屋さんへの挨拶まわりの時間すら無いほどです。お客さんによっては、特殊技能を備えた芸妓さんしかお相手できないので、特に若い舞妓さん達にとっては、お稽古事は大切な将来への投資なのです。

芸・舞妓の非日常性

お客さんが求めるのは、日常を離れた純粋な楽しみです。そこで、芸・舞妓は、見た目や立ち居振る舞いや会話で、生活の匂いを感じさせない事が非常に大切なのです。家事などは一切やってはいけないのですが、言動が所帯染みるのを避けると共に、手が荒れるような事があっては、お客さんに「まち」の生活を思い出させてしまうからです。昔は買い物さえ許されず、廃業までお金を使った事の無い人すら居たそうです。こんな状況ですから、今でも芸・舞妓は、自分の花代が幾らかまったく知りません。

色々な意味で花街は別世界であり、客と共に夢の世界を作り出すのが仕事ですから、叶姉妹ではありませんが、着物も立ち居振る舞いも話題も、すべてにゴージャスさを感じさせる演出が基本となります。宴席はある種の「異次元空間」であり、そこではお客を単に「おとうさん」「おにいさん」と呼んだり、佐藤さんを「サーさん」と呼んだりして、「まち」での名前や職業を曖昧にしてしまいます。ぼくぐらいの年かっこうなら「お兄さん、おいでやす」と迎えてくれる筈です。既述のように、残念ながら一度も行ったことはありませんが。

更に、悪名高き「一見さんおことわり」の裏には、馴染みなら財布が無くとも一晩平気で遊べるという信用経済があり、常連を格別に厚遇する姿勢があります。「まち」での地位の如何に拘らず、廓ではお得意様は大名様というわけです。

赤穂浪士の大石内蔵助が、世間の目をごまかすため、祇園一力茶屋で遊んだのも、このような秘密厳守の異次元空間であったればこそでしょう。

ステータスシンボルとしての花街通い、コギャル全盛時代の舞妓さん事情、芸・舞妓さんとIT革命、引退後の芸妓さん、後継者問題、花街の大衆化等々、書きたいことはまだまだ有るのですが、それは次の機会に。


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