© 1999 Masayasu AOTANI
世紀末の京大
「京の出来事」とか「住めば京都(みやこ)」とか京都全体を題材にしようかと思ったのですが、「先生は京都人ちゃいます」と毎日言われ続けている自分が京都一般について書いたのでは、その筋からどういう御咎めが有るか分りません。それよりは、京都の中の外国、京都大学の事情でも先ず書こうかなと思った次第です。「放し飼い京大教官の典型」と褒めて(?)もらう事が多いので、これなら誰からも文句は出ないでしょう。
その一:平成のインディアナ・ジョーンズ
京大の女子学生はファッションモデル
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年ぶりに帰って来て一番驚いたのは、学生の服装。自分が学生であった頃の京大のお姉ちゃん達はむさ苦しき事甚だしく、女の子は勉強かファッションかどちらかにかけるのが普通でした。そういうバンカラ女学生が京大生だと思っていた自分には、キャンパスに溢れるプラットフォームと厚化粧は大きな驚き。自分が学生の頃には、こんなシーンは映画のロケの時だけ。更に驚いた事に高校時代はコギャルだったと誇らしげに話す学生さんの多い事。昔の京大生ならアンチコギャルの床上5cmスカートか、「コギャルになろうにもなり方が分からなかった」という感じ。「勉強もファッションも両方やればいいやん」と言われ、納得。「三、四年前から巷でもファッションモデルの様な格好をする人が増えて来た」と同僚は言うのですが、巷がどうなろうと全く影響を受けなかったのが昔の京大でした。因みにじっくりと観察してみると、男子学生の服装も随分と向上しています。そんな中で自分は毎日同じTシャツに黒いズボン。学生さんには「同じデザインのシャツをいっぱい持ってんねん」という事にしてあるのですが。「先生は無臭性やから、まあええでしょう」と事務の御墨付きも貰っています。日本語
未だアメリカに居た頃に例の「チョベリバ」(超
very bad)というのを聞いて呆れたものですが、日本語も多様になったと言えば良いのか乱れていると言えば良いのか、新日本語がキャンパスに氾濫。人文科学研究所の先生によると、所謂若者語は「漫画語」「混性語」「省略語」「整調語」「曖昧語」の5種類に大別されるそうです。留学生センターの某教授が大学一年生の娘さんに「パパらん」(?)と呼ばれ気持ち悪がっていましたが、これは明らかに「漫画語」。「漫画語」と言っても必ずしも実際に漫画に出て来るとは限らず、漫画にでも出て来そうであればそれで良いとの事です。「混性語」は女性が「おれ」とか「めし」とか言うあれ。こちらはその内化学の実験で男子学生が、「お水」などと言い出すのではないかと戦々恐々。「省略語」にはタイプが二つ有り、一つは「マクドナルド」が「マクド」となる様な何の変哲も無い物。もう一つは長い筈の表現を無理矢理短くしてしまう物で、「他の人は知りませんが、僕は」と言うニュアンスを「僕的には」で片付けてしまうのがその例だそうです。次に意味も無く付けてしまうのが「整調語」で、調子を整えると言うと聞こえは良いけれど、基本的には単なる癖だそうです。「バス停に子供系が居て」と言われて大いに興味を掻き立てられたのですが、「子供系」=「子供」と判明してがっかりした事が有ります。最後の曖昧語は兎に角文尾辺りを適当に誤魔化してしまう物で、「行ってみてはどうですか」という代わりに「行ってみるとか」と言ったりする若者が増えているそうです。尤も、自分が若い時にも「やってみようか」と言う代わりに「やってみたりして」と言うのが流行っていた様な記憶が有りますが。婉曲表現と取れない事もないと個人的には考えています。流行り言葉は流行り言葉として、マンガ世代の一般的傾向として短いセンテンスでぶっきらぼうに話したり、体言止の多い細切れの文章を書いたり、急に関係の無いギャグが入ったりするという傾向が有るそうです。つまり「ふざけているのか真面目なのか見当が付かず、その上言葉足らず」なのだそうです。更に、今大流行のインターネットが、所謂非線型の
presentationですから、はっきりした流れが無く、内容が分らない様な文章の方が却って若者に受けるとも言います。実はこの10月に大阪の河合塾という予備校で「人生バラエティーに富め−すばらしい事がひとつ有る」という講演をするのですが、その論点を「人生では必ず失敗する物である。要はその失敗をどの様に生かすかだ。又同じ失敗なら海外で大きくやってみよう。その方が人生はもっと充実した物になるから」という調子で生真面目に書いたところ、一回生の女の子がこれでは書くだけ無駄だと酷評、以下の様に書き直してくれました。「メッセージ」− 君は失敗する
受験生は勉強のプロ。しかし研究も人生も入学試験とはまるで別物。それは自分で問題を作って解く試験。でも、殆どが白紙答案の零点。第一、問題が作れない。出題範囲の無い試験だから。ひとが考えてもみなかった問題に取り組む。当然誰にも答えは分からない。進んで新しい事をやり、進んで失敗する。研究は人生の縮図。しからば、その問題解決能力で人生の応用問題を。でも世間は甘くない。新しい環境は新しい問題の温床。また幾度となく失敗。同じ失敗なら、海の向こうでダイナミックに。視野を広げよう。海外に出よう。
何度も倒れ体中泥だらけ、顔は血まみれ。それでもクールに「人生バラエティーに富め」。よそ見の暇も無い程に、次々新たな局面が。まるで平成のインディアナ・ジョーンズ。文字通りの積極果敢、ぐれる間も無い忙しさ。こんな素晴らしい人生を君に。
たぶん、そういう話をします。題して、中年スケートボーダー/学者の非線型横乗り人生論。真面目な講演です。念の為。
文学部ですって。(笑)皆さんはどう思われますか。