青谷ホーム

 

 

2節日本英語事情

日本英語史

日本の英語史は受容と拒絶のくり返しです。英語学習に直接役立つわけではありませんのでとばして頂いても構いませんが、今の日本人の英語との付き合い方に、何らかの指針を与える可能性もあります。興味のある方はちょっとお付き合い下さい。それにこういう特殊な歴史をたどってみるのも楽しいですよ。

 

日本にやって来た始めての英語話者はイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)だとされています。1564年生まれの彼は数学・天文・航海・造船などの専門知識を学んだのち、1600年(慶長5年)にオランダの東洋探検隊の航海長としてリーフデ号で渡日、家康の外交顧問として腕をふるいました。イギリス船が初めて平戸に入港する13年も前のことです。その後1620年(元和6年)に57歳で死ぬまで、東奔西走の活躍をしました。イギリスにも日本にも妻子がいたうえ、めかけの子どもまでいたそうで、遺言状には三者への遺産の分配法が明記されていたそうです。

 

蘭学等が主流であった日本にも、少しずつ英語は浸透してきます。日本が英国と貿易を始めた一年後の1860年に横浜を訪れた福沢諭吉が、それまで学んでいたオランダ語がまったく通じないのに驚き、勝海舟の助けを得てアメリカへ渡った話は有名です。

 

日本で英語が本格的にブレイクしたのは明治維新以後で、大学では英米人教師による英語の講義が始まりました。英語以外にもドイツ語による講義などがあり、大学では外国人講師による外国語で行われる講義を「正則」、日本人講師による日本語で行われる講義を「変則」と呼び、外国人による講義が本来の本物の講義であるとの見方がなされていました。ただ、上記のように外国語でなされる講義は色々あり、英語の講義だけがまともな講義だと見なされていたわけではないので、英語が国を席巻するまでには至っていません。

 

ところが、極端な欧化政策への反動としての国粋主義が現れると、その一環として反英語気風が高まり、英語への風当たりも強くなります。

 

次の大きな動きは1902130日に起こりました。ロンドンにおいて日本側の全権大使林薫と英国の外務大臣ランスダウン(Lans Downe)との間に日英同盟が締結され、英語ブームが再来するのです。ところで、この日英同盟はご存知のように日本史の教科書には必ず出てくる有名な同盟ですが、全文は6条からなりわずか2ページだったそうです。こんな小さな条約でも2002年には締結100年と言うことで、イギリスの樫の木が日本各地に植樹されるなど、少しだけですが話題になっていました。この同盟は1921年に米・英・仏・日の四カ国条約が結ばれるにいたり廃棄されましたが。この辺りからアメリカの影響も大きくなり、英語学習が静かなブームになったそうです。

 

そのあと日本は軍国主義・国粋主義の道を歩んだために英語の勢いは衰えます。やがてアメリカが敵国となり「敵性語」となった英語は、衰退どころか各所で使用禁止の憂き目を見る事になります。このような状況下にあって特筆すべきは最後の海軍大将であり第40代海軍兵学校長井上成美の言動です。敵国語として各方面で英語使用が禁じられるなか、兵学校受験科目と授業から英語を廃止することに断固として反対し、「自分の国の言葉しか話せない海軍士官が、世界中どこにあるか」と少数の教官の意見を尊重し、英語教育を続けたのです。海軍きっての合理主義者で自らを「ラジカルリベラリスト」と呼び、数学や物理を愛し死ぬまで代数の問題集を手元に置いていたという井上は、「剃刀」の異名を持ち、大胆な発言を色々残しています。中でも大鑑巨砲主義を批判して海軍大臣及川古志郎に「海軍はばかばかしいから辞めます」と言い切った事、軍神東郷元帥について尋ねられ「神様批判はできんので、人間を神様にしてはいかん」と答えたことはよく知られています。

 

また脱線しますが、日本海軍は基本的に技術者・合理主義者の集団であり、軍艦の操縦、測量、魚雷の発射などの技術と知識を備えたエクスパートの集まりでした。海軍兵学校でも重点が置かれていた数学や物理は得意でも、政治には長けておらず、それが日本陸軍の暴走を許し対米戦に日本が突入してしまうという結果を生んだ、とどこかで読んだことがあります。真偽のほどはともかく。

 

第二次大戦後占領軍などを通じてアメリカの文物が巷にあふれるようになり、

再び英語ブームが訪れます。

 

グローバリゼーションは70年代80年代にも確実に進行していたのですが、日本がバブル経済にいたる高度経済成長を続けていた頃には、言語的側面も含め閉鎖的な日本の産業界の特性が日本に有利に働くことが多かったため、英語の重要性が痛切に感じられることは有りませんでした。日本製品が性能と言う意味で他者の追随を許さなかったことも、今ほど英語が必要ではなかった理由だったようで、当時アメリカで親しくしていただいていたソニーの技術者の方は、「さすがに日本語ではだめだが、いくら英語がへたでも辛抱強く聞いてくれる。うちの製品が買いたくて仕方がないんだから。円高になったら、差額は問題なくこちらが負担するので、ぜひうちに売ってくださいと泣きつかれたよ」と笑いが止まらないようでした。ちょうどこの頃に当時日本のお家芸であった液晶を研究していた友達は、「すぐれた液晶の研究は日本にしか無い。日本語で論文を書いても必死で訳して読んでくれる」と豪語していました。あれからまだ20年もたっていませんが、日本語にとっては古き良き時代でしたねぇ〜。昨今の日本の勢いの無さからは想像もできないことです。

 

ぼくが学生のころから、日本人の英語下手と日本の英語教育の劣悪さは有名でしたが、このように少なくとも経済的には順風満帆であったために、英語教育・英語学習の構造改革は大幅に遅れてしまいました。

 

そういう意味でバブル崩壊は、日本の英語教育の改善や日本人の英語力の向上にとってはたいへん有益であったと言ってよいでしょう。グローバリゼーションの波に乗り遅れないことの大切さが、ようやく日本人にも身にしみて分かってきたようです。ぼくの数学や物理の講義には大した関心も示さない学生さんでも、英語とか国際感覚などのキーワードが講義のタイトルに入っていると、敏感に反応してきますのでね〜。

 

最近の事情には皆さんも詳しいでしょうから、詳細は省きますが、英語の市場は年間3兆円以上とも言われ、経済学専攻のアメリカの友人が「クリスマスといい英語学校といい、日本は何でも商業主義なんだねぇ。それにしても日本は英語が産業として成り立つ数少ない国の一つなのでは」と皮肉というよりは感慨深げに話していました。

 

最近では、仕事や就職戦線で英語が必要になってきたために、やらざるを得ない状況です。前節でもふれましたが、たとえばカルロスゴーンさんがやって来た日産で、重要な会議が英語になり英語ができないと出世できなくなったというのは理解できるとしても、純正日本企業のはずの日立製作所がTOEICのスコアを昇進条件にするなどというのは、過去には考えられなかったことです。

 

それではそういう日本人の英語力はついに向上し始めたかというと、これがかなり大きなクエスチョンマークなんです。今や有名になったぼくのぼやき倒し(pet peeve)の内容は、「20年間アメリカにいた44歳のぼくは、学生さんの英語力も自分が大学生だった30年前よりは格段に向上したであろうと大変楽しみにしていた。しかし、日本にもどってみると浦島太郎どころか、こと英語力に関してはむかしの認識がそのままあてはまった」です。会話学校なども流行っており、確かに話す力はぼくたちの頃よりわずかですが向上していると思われます。ところが英語の授業時間数が減ったせいか、作文力などはむしろ低下したように見えるのです。これについては、ぼくだけの危惧ではないと思います。と言うのも、朝日新聞特別編集委員の船橋洋一さんが、元の外務省のOBの中に若い外交官の英作文力の無さを憂うる人たちが少なからずいると言っておられるからです。

 

留学生センターに勤めている関係で、英語圏に留学する人が受けるTOEFLTest of English as a Foreign Language)の指導を行いますが、日本の平均スコアは惨憺たるものです。アジア諸国の中では常にモンゴルや北朝鮮と並んで最低レベルで、最近では1998年に見事最下位の栄冠を得ています。この時の日本人受験者の平均スコアは677点中の498点でした。因みに日本ではなかなか取れないとされる600点ですが、ドイツなどは受験者の平均が610点くらいです。この時の日本人受験者の数は15万ほどで、あの大国の中国ですら8万人しか受けていないので、「日本の平均点が低いのは当たり前だ」と言い訳をする人が多くいます。また「日本語と英語の違いが大きいためだ。ドイツ語なんか英語といっしょじゃないか」と怒る人もいます。これは両方とも一応正しいのですが、はっきり言って「後ろ向き」発言です。求める気持ちがあれば教材も生の英語に触れる機会もはるかに豊富なら、国民の平均的な教育レベルも高い日本が、全身全霊を打ち込んでも英語は難しいので出来ないというのであれば、潔くこれをうけとめましょう。しかし、僕にはそれが現実だとはとうてい思えないのです。英語の先生もなまくらなら、自分たちも英語力が無いので文部科学省も及び腰、英語の応用編をしっかり学ぶべき大学生は怠け者、趣味程度にお茶を濁す企業人の英会話学校通い、どれ一つをとっても真剣に取り組んでいる人間の姿勢ではありません。国をあげて英語教育に取り組んでいるお隣の韓国を、良いお手本にしたらどうでしょうか。人口が少ないにもかかわらず1998年の受験者数は10万人以上でしたが、平均点は522点です。韓国語だって日本語と同じくらい英語と似ても似つかないんですよ!

 

最近TOEFLCATComputer Assisted Testing)、またの名をCBTComputer-Based Test)に変わりました。日本人はcomputerの使用に不慣れなことも多いので、これでちょっと不利になったかも知れません。しかし、実はこれにも増して日本人をたいへん悩ませるはずの変化が、文法(structure)のセクションで起こったのです。ペーパーテストのTOEFLpaper-based TOEFL)の時代には文法のセクションはまさに文法の多肢選択(multiple choice)だけで作文はまったくありませんでした。作文についてはTWETest of Written English)というものが、TOEFLとは別にあったからです。ところが、最近Structureのセクションに作文が入り、しかも配点の半分以上が作文になってしまったのです。ぼくの受けたコンピューター版の(computer-basedTOEFLでは、30点中17点が作文でした。これまでの聴解練習以外に作文練習も必要になったのですから、作文が苦手な日本人にはかなり大きな痛手です。しかし、日本人が留学して一番困るのは英語でペーパー(基本的には日本でレポートと呼んでいる物)を書かねばならないことだそうです。たとえば京大の交換留学提携校の一つであるカナダのトロント大学は、この点への懸念からTWEを別に要求していたのですが、途中から点数を上げて来ました。その時にぼくが留学希望の学生さんたちに言ったのは、「さあ困った」と頭を抱えてそこに座りこむか、「よし、良い機会だ。作文力をつけよう!」と挑戦を受け止める(face the challenge)かで大きな違いが出るよ、ということです。日本人の英作文力が、そのまま会話力に反映されないのは、和文英訳ばかりをやっているからで、TOEFLのエッセイの勉強は考えたことをそのまま英語で書く訓練をする絶好の機会です。と言う訳で、ここでも「前向き指向」かつ「前向き思考」で全速前進してください。なおTOEFLについては、ぼく自身もこれまでに四回受験しており、必要も無いのに偵察のためにCAT TOEFLも受けたりしています。留学希望者にとっては避けては通れない関門ですし、興味も高いようですから、別にセクションを設けて勉強法などを説明してあります。ぜひそちらもご覧ください。

 

まとめますと、「英語の運用能力の必要性」への認識は遥かに高くなったが、それが必ずしも努力と実力に反映されてはいない、となります。まあ危機感が出て来ているだけでも、非常な進歩なんですけどね。

 

日本の英語教育

国際理解教育や総合的学習の一環として小学校に英語教育が導入されようとしていますが、従来の日本の英語教育は中学・高校・大学の10年間でした。(もっとも、ぼくのように大学における英語教育の惨状を日々目の当たりにしている者にとっては、中学・高校の6年間の英語教育と言われた方がよほどしっくり来ますが、まあそれはそれとして。)ここでよくたとえに出されるのが赤ちゃんの言語的成長です。言語野はおろか最初は未熟な脳しか持たず、言語とはどういう物なのかすらも分からない赤ん坊が、10歳にもなればそれなりの言語能力を身に付けるのに、最初から発達した脳を持ち、言語がどういう物でどういう使われ方をする物か、十分に承知している中学生が、10年間も学んだ英語を使えぬとは何事か、と言うのです。この乱暴な議論には必ずしも同意しませんが、最後のところの「英語を使えぬとは何事か」だけは、ぼくも同感です。

 

従来の日本のカリキュラムですと、中学での英語の授業は350630時間、高校では11201400時間、合計14702030時間となります。実は2030時間と言うのは主要科目である数学の1330時間や国語の1750時間をもしのぐ時間数なのですが、一日あたりでは1時間弱に過ぎず、日数に直すとたったの84日です。中学・高校の6年間で84日分しか授業がないのであれば、日本のように日常生活で本物の英語に接する機会がほとんどない国では、英語の運用能力を身に付けるのはむずかしいと、納得できてしまいませんか。今度の新しいカリキュラムでは中学校での英語の授業は週3時間に減るそうですから、時代逆行もはなはだしいと言わざるをえません。

 

更に教員の質も惨憺たるもので、ぼくの知り合いでもとんでもない教員が多いですが、何と言っても採用基準が低過ぎます。文部科学大臣の下に置かれている英語教育改革に関する懇談会は、2002712日に出した戦略構想の中の「英語教員の資質向上」という項目の中で、英語教員が備えておくべき英語力の目標値として英検準1級、TOEFL550点、TOEIC730点程度を挙げていますが、これは完全に気違い沙汰です。先ず英検準1級は非常によく出来る高校生なら取れるものであり、TOEFL550点はたとえば京都大学から交換留学生として英語圏の大学に行くのに必要な最低点です。つまり理系の学生さんでも努力をすればすぐに取れてしまう点です。TOEIC730点はTOEFL550点に相当するとされていますので、言わずもがなでしょう。これでは、「普通よりはできる人に先生になってもらいましょう」と言っているに過ぎません。しかも、同戦略構想には「英語教員の採用の際に目標とされる英語力の所持を条件の1つとする事を要請」と当たり前のことが書かれており、逆に言えばこれまではこんな条件すらクリアできない人が先生になっていたという事でしょう。せめてもうちょっと踏み込んだ提案ができなかったのでしょうか。

 

ところでその反面、「教員の評価に当たり英語力の所持を考慮する事を要請」というのも有り、これは英語教員に限らず教員一般のようですから、随分踏み込んだ提案に見えます。まあ英語の第二公用語化に似たショック療法的効果はあるでしょうが、どうなんでしょうねぇ。懇談会の提言にいちいちいちゃもんを付けるつもりは有りませんが、英語の先生でもない人の英語力が過大評価されたりすると問題ですよね。外資系企業の日本支社などで、仕事の能力よりも英語力のある人間が優遇されて先に出世したりする、ああいう現象を少し恐れます。まあぼく自身、英語力の重要度をどの程度に位置付けるか確信が無く、いまだに暗中模索を続けていますので、あんまり他人のことを偉そうに言うつもりはありませんが。