最初に英語力や英語学習のとらえ方、自己評価の基準など全体的なフレームワークのお話をします。英語学習力を付けるためには、英語力そのものについての知識と、大人の英語学習に関する知識に基づいた計画性が最重要です。第二言語習得の研究者になるわけではありませんので、微に入り細を穿った知識は必要有りませんが、納得づくの学習のためにも、基礎用語と基礎概念を身に付けてください。
英語力と二つの知識体系
「語彙は有る、慣用句も習った、文法も分かる、しかし英語は使えない」
「英語に*ついて*知っているが、英語は知らない」
このように酷評される日本人の英語ですが、その根源は偏った英語の知識にあります。
Explicit KnowledgeとImplicit Knowledge:Declarative KnowledgeとProcedural Knowledge(潜在的な知識と顕在的な知識)
Explicit knowledgeやdeclarative knowledgeは、自分でどういう物かはっきりと言葉で説明できる知識であり、implicit knowledgeやprocedural knowledgeは出来るけれども言葉で説明は出来ない知識と言うよりは技能です。たとえばアメリカ人の多くはなぜ“a apple”ではなくて“an apple”なのか説明は出来ませんが、完璧に使いこなす事は出来ます。しかし日本人は「母音の前なのでan apple」と説明は出来ても、実際には話の途中で“It’s a apple”と言ってしまったりします。これはアメリカ人の持つimplicit又はprocedural knowledgeが日本人には欠けているからです。もっと一般的に言うと、文法の知識の無いアメリカ人がほぼ完璧な英語を使い、微に入り細を穿った文法を学んだ筈の日本人が間違いだらけの英語を使うのは、implicit/procedural knowledgeの有無の違いです。
例えば自転車に乗るような技能ではdeclarative/explicitな知識は殆ど必要がなく、実際に乗れるかどうか、即ちprocedural/implicitな知識が有るかどうかが全てですが、数学の場合には多量のdeclarative/explicit knowledgeがベースに無いと、実際の問題を解くprocedural knowledgeは身に付きませんね。この様に、知識・技能の習得が成功する為には、explicit/declarative knowledgeとimplicit/procedural knowledgeのバランスが非常に大切です。
この見方を英語の運用能力にあてはめた場合、ノンネイティブがネイティブに比べて特に弱いのはimplicit/procedural knowledgeだと言う事が出来ます。ネイティブの場合には語彙以外のexplicit/declarative knowledgeが殆ど無くてもimplicit/procedural knowledgeは十分に有りますから、これだけを見るとexplicit/declarative knowledge重視の英語教育の全否定につながり、「聞き流し」や「使い込み」信仰に陥りそうですが、これは赤ん坊と大人の英語修得の違いを無視した愚考・愚行です。ノンネイティブの場合には十分なexplicit/declarative knowledgeというscaffolding(足場)が有って、始めて英語の壁を登る事が出来るのです。道具がそろっているのに敢えて急峻な英語の壁のfree climbingをやる理由はどこにも有りません。僕たちは日本カモシカじゃありませんから。
と言う訳で、explicit/declarative knowledgeとimplicit/procedural knowledgeのバランスの取れた学習が王道という事になりますが、その為の有用な指導原理がPaul Nation先生の“The Four Strands”と言うアイデアです。以下はそれを“俺流”に少し改変し、日本人向けに説明した物です。
The
Four Strands (three meaning-focused strands and one
form-focused strand)
英語学習を四つの側面から見る物で、Meaningful Input, Meaning-Focused Output, Form-Focused Learning, Fluency Developmentの四つの柱からなっています。
Meaningful Inputとは、意味がほぼ分かるレベルの英語の聴解や読解訓練で英語に慣れると共に、語法や表現など知らなかった英語も学ぶものです。単語でいうとinputの最低95%、理想的には98%を既に知っている必要があります。裏を返せば、内容の難しさにせよスピードの問題にせよ、意味が分からないほど難しいinputは修得に寄与しないと言う事です。Natural speed信仰が誤りである事はこの点からも明らかで、例えばCNNのニュースを一日中バックグラウンドで掛けていても、BGM替わりならともかく、英語の修得の足しにはほとんどなりません。普通の日本人は内容が全く聞き取れないからです。読解についても、すらすらと読めないものはmeaningful inputの材料としては不向きです。
Meaning-Focused Outputとは、意味を伝える事を目的として書いたり話したりする事によって、英語に慣れると共に、自分の英語の弱点にも気付こうとするものです。何かを描写するとか、リクエストするとか、自分の意見を述べるとか、具体的な目的を達するためにするoutput活動です。例えばCDの内容を一文ずつオウム返しにして行くようなcontextから切り離されたoutput訓練はmeaningful outputとは言えません。自分で言いたい内容を頭の中で組み立て、それを何とか知っている範囲の英語で表わす努力をするのが、meaningful outputの真髄です。当然ながら最初から英語でoutputをして行きます。かつて一世を風靡したaudio-lingual methodは機械的な反復が中心でしたので、これはその対極をなすものです。
Focus-On-Formとは、語彙や慣用表現や文法や発音など言葉の形式的側面に特化した学習を意識的に行うもので、ネイティブの赤ん坊が自然に吸収する言語の形式をexplicit/declarative knowledgeとして身に付ける事です。英語の壁の登攀道具をそろえる活動ですね。Meaningful Outputの役目を果たさない上述のaudio-lingual methodもformを学ぶには有効ですし、ネイティブの英語は一連の言葉の塊(chunks)をつなげたものだと言われていますので、塊を色々知っている事は非常に大切です。昔ながらのgrammar-translation method(訳読法)が大いに貢献するのはこの形の学びですので、多くの日本人がform-focused learningだけはかなりのレベルでこなしていると言えるでしょう。
Fluency Developmentはすでに知識としては身についているものを、すらすらと使える様にするための訓練で、読・書・聴・話の四技能全てに横断的に当てはまります。Explicit/declarative knowledgeをimplicit/procedural knowledgeに変換する作業や、既にあるimplicit/procedural knowledgeの高度化が目的です。平たく言うと使い込む事によるスラスラ感の養成ですね。日本人の英語はfluencyやprocedural knowledgeが極端に弱いですから、fluency developmentは特に真剣にとらえねばならない側面です。僕の英語の先生は、“It’s a matter of how much you feel at home with and in English”(英語について、また英語使用に関してどれだけ場慣れしているか、それが問題だ)と表現されていました。
Focus-On-FormとFluency Development、つまり知識の獲得とその使用のための訓練、がともに必要なのは、日本人の間違いを見てみるとよく分かります。たとえば、“on campus”と言うべきところで“in campus”と言ってしまう日本人の多くは、campusの前置詞はonだとの知識が欠けています。しかし、既出のように“I have a apple.”という間違いは使用力の不足です。記憶を入力・貯蔵・出力の三つのフェーズに分け、Focus-On-Formを入力・貯蔵の部分、Fluency Developmentを出力の部分と考えることもできます。英語の勉強への総合的・統合的アプローチが必要ですね。
これらFour Strandsに僕はあえてもう一つの側面を加えています。それはInteractive Language Useです。
Interactive Language Useは、言葉通りなら手紙やemailのやりとりも含みますが、ここでは会話の事です。と言うのも、手紙やemailはinputとoutputのphaseが交互に現れるだけであって基本的にはinputとoutputの単純な組み合わせであるのに対して、会話ではinputの処理とoutputの前処理や実行が常に同時進行(parallel processing)であり、システムへの負担がまるで違うからです。また、分からない時に聞き返したり説明を求めたりできるのも、会話だけです。例えばlisteningのみについて見ても、interactive listening、つまり会話時のlisteningはラジオを聴くのとは定性的に異なる事が確認されています。このスキルは上記のFour Strandsが出来た上に始めて成り立つより難度の高いスキルなのですが、もちろん実際の勉強では、The Four StrandsとInteractive Language Useの訓練を並行させます。ホモ・ロクエンス(homo loquens=ことばを持った動物=人間)がことばを持った最大の理由は他とのcommunicationなのですから、interactive useを軽視するわけにはいきませんね。
この様にlanguage proficiency(言語能力)を幾つかのカテゴリーに分けてみると、練習のやり方やそれぞれの訓練の意義がより明確に見えて来ます。The Four StrandsとInteractive Language Useが本書の訓練のguiding framework(指導的枠組み)であり、declarative/explicit knowledgeとprocedural/implicit knowledgeのdichotomy(二元的見方)が本書における言語の知識・技能の理解の仕方の基本です。指導原理的な部分はこのように単純な方が良く分かりますが、複雑でも多元的なとらえ方はより深い英語力また幅広い英語学習力を培うのに役立ちますので、いくつか概念的な話を付け加えさせてください。
Analytic/Local
Abilities and Holistic/Global Abilities
たとえば、Analytic/Local Understanding(解析的・局所的理解)とは単語・表現・文法など文の構造と文意に関する理解であり、Holistic/Global Understanding(全体的・大局的理解)とはパラグラフや文章全体の理解です。部分ごとの詳細の理解と全体の概要の理解と考えても構いません。
このように、analytic/local abilitiesは部分の詳細構造に関する能力であり、holistic/global abilitiesは全体の概要に関する能力です。ノンネイティブの場合、analytic/local abilitiesはdeclarative/explicit knowledgeに依存する事が多くform-focused learningが効く分野、holistic/global abilitiesはより統合的でimplicit/proceduralな言語能力(いわゆるproficiency)を要する分野です。例えば全体として説得力のある文を書く力はholistic/globalであって、明らかに単語や文法や慣用表現の知識だけで身に付くものではありませんね。
この様に考えると、analytic/localな力はいわゆる“勉強”ですぐ身に付くが、holistic/globalな実力はつかみどころがなく、その為の明確な勉強法も無いように見えます。しかし、以下のような事実を考えてみると、全体像はそれほどシンプルではないのが分かります。
l ネイティブのanalytic/local abilitiesは実はimplicit/procedural abilitiesであって、declarative/explicit knowledgeの寄与は多くはありません。これがノンネイティブとの大きな違いです。
l 日本語と英語のように、異なった語系に属する二言語を比べた場合、語彙や発音や文法には明らかに大きな違いがありますが、いわゆる文章力とか言語感覚とかいったholistic/globalな力には共通点が多いと言われています。
l Analytic/local abilitiesが無ければ、holistic/global abilitiesも難しいでしょうが、逆にholistic/global abilitiesは単語・表現・文単位での理解を助けます。
これらに関連して、Automaticity, Language TransferとThreshold Hypothesis, そしてBottom-Up ProcessingとTop-Down Processingの話をしましょう。
Automaticity
車がよく引き合いに出されますが、最初の内は神経を集中させて一つ一つの動作の内容と順序をしっかりと考えながらでないと到底運転できませんね。しかし、慣れてくると自然に体が反応しますから他の事をやりながらの運転も平気になります。いわゆる「余裕」が出て来るわけです。運転しながら携帯を使ってしまうのは、これが大きな理由でしょう。
言語でも状況は同じであって、アメリカ人にとっては、英語を使うのは完全に自動化されたプロセスです。例えば日本人の日本語と同様、頭で考えることと話すこととは直結かつ一体化されています。よほど難しい概念ででもない限り、単語や表現の選択から文の組み立てまでをしっかりと考えないとしゃべれないと言うことはありえません。しゃべりながら他の動作を同時進行させるのも日常茶飯事、と言うよりはそれがあたりまえです。「余裕」があるのです。
この自動化された状態をautomaticityの確立された状態と言い、automaticityの欠如がノンネイティブの最大の問題です。The Four Strandsのところで出て来たfluencyですが、その根幹にあり、日本人の英語の最大の問題点はこのautomaticityです。少なくとも基幹プロセスの自動化が出来ていないと、そのことだけで脳の処理能力が飽和します。時々刻々と変化する情報の処理はworking memoryとして知られる脳内のプロセスが担当しますが、そのworking memoryが忙殺状態になるわけです。第二言語でのIQは第一言語でのIQより低いと言われるのも、これが理由です。
それでは、その自動化はどのようにすれば身につくかと言うと「習うより慣れろ」です。一般的にcomplex and dynamic skills(複雑で変化の激しい物を扱う力)をマスターするには最低10,000時間の訓練が必要だと言われています。コンピューターゲームで既にこの領域らしいので、言語使用は言うまでもありませんね。元東京外国語大学学長の小川芳男先生は「慣れるまで習え」とおっしゃったそうですが、まあそう言うことです。ちなみに、赤ん坊は遅くとも4,5歳までには10,000時間を越える母語の練習を積むそうで、語彙などはともかく、普通の日本人がアメリカの保育園児の英語力にぼろ負けするのも、この観点から見ればあたりまえです。
一時社会現象とまで言われた宇多田ヒカルの衝撃のデビュー曲「Automatic」には“It’s automatic.止まらない。Noとは言えない。I just can’t help.”(歌詞から都合の良い所だけを抜粋)と有りますが、これですね。Automaticityは英語学習のultimate goal(到達目標)です。
Language
Transfer(言語転移)とThreshold Hypothesis
例えばフランス語やドイツ語と英語の間には起源を同じくするために形がよく似た単語や全く同じスペルの単語が沢山有ります。これらはcognatesと呼ばれ、学習の際に大変助けになります。更に表現や文法にも似た物があるので、母語の知識を第二言語に生かす事が可能です。こういうものをpositive transfer(正の転移)と言います。皆さんの中にも、ドイツ語やフランス語を第二外国語として学んだ際に英語の知識が大いに役立ったと感じられた方が居られたはずですが、positive transferのおかげです。残念ながら日本語と英語の場合にはpositive transferはほとんど有りません。
これに対して、negative transfer(負の転移)は言語間の違いにもかかわらず母語の形式や語法や表現を適用してしまった結果、誤ったあるいは不正確な外国語の使用が生じる現象です。日本語から英語という意味では「電話をかりる」=“borrow a phone”(正しくはuse a phone)が有名ですが、同じ言語族のドイツ語と英語でも“since three days”という有名な誤りがあります。これは三日前からと言うのをドイツ語では“seit drei Tage”(文字通り“since three days”と言う意味です)と言うためです。
ところで、positiveかnegativeかを僕は極性と読んでいます。
良きにつけ悪しきにつけ、これらのLanguage Transferはlocalレベルでの現象ですが、globalなレベルでのtransferもあります。これには上司にこういう内容の話はすべきではないと言ったような慣習や文化にかかわる物も多く、この範疇ではpositive transferとnegative transferの両者が見られます。しかし、ここではもっと純粋な言語能力としてのglobalなtransferのお話をしましょう。読解力があるとか、文がうまいとか、要点を聞き取る力があるとか、巧みな話術とか、そういう能力です。疑問は二点、これらの力にtransferが有るのか、もし有ればその極性はpositiveかです。そして答えはともにyesなのです。日本語でglobalな読解力・文章力・聴解力・話力のある人は、その力を英語にtransferできるという事です。
ただし、globalなレベルでのtransferには大きな条件があります。それはlocalな言語能力も含め、総合的英語力が一定以上のレベルに達している事です。これはThreshold Hypothesisとして知られており、能力のtransferがある程度まではglobalな英語力に寄与する事が検証されています。多くの日本人の英語力は極端に低いので、国語力が高かったとしてもglobalなtransferの恩恵をほとんど受けていないのはたいへん残念なことです。このthresholdは物理学の臨界値ではありませんので、はっきりと定量・数値化出来る物ではもちろんありませんが、日本語の力が英語力の助けにもなる事を知っておくことは、英語学習者の励みになると思います。ほとんどの学習者がthresholdに達する前にあきらめている現状、辛抱強く学習する人でも方法が悪いために実力が伸びていない現状をなんとか打破したいものです。
ついでながら、言語一般をつかさどる共通の仕組みが人間の脳にはあり、成長と共に一つの言語に特化しても、汎用性が完全に失われるわけでは無いのでglobalレベルでのtransferがあると説明する学者もいます。もっとも、たとえば生後数日のフランス人の赤ちゃんがフランス語とロシア語を聞き分け、フランス語の方により強く反応すると言う実験結果もあり、母語への特化は難しい問題です。母親の胎内で母語を学んだのではなく、もともと母語に特化した機能が有ったのではないかという学者もいますが、「それでは日本人とアメリカ人の間に生まれた子供などはどうなるの」と言いたくなりますね。僕は脳科学に関しては全くの素人ですが、母語のいかんにかかわらず言語野の場所や働きには共通点が非常に多いようですから、日本語力と英語力に共通点があっても個人的にはそれほど不思議には思いません。僕の英語力も国語力に裏打ちされている部分が多いと感じますし。
Bottom-Up
Processing(上昇処理)とTop-Down Processing(下降処理)
Analytic/Local Abilitiesに依存して、部分からlocalに始めて全体をとらえるのがbottom-up processingで、Holistic/Globalアプローチで経験や予備知識や状況や環境を利用するのがtop-down processingです。
読解の際には、各単語の意味から始まって文の意味さらには文章全体の意味へと繋げていくのがbottom-upのやり方、自分の経験や話題についての知識、筆者に関する情報、行間を読む力、文化的背景などを利用するのはtop-downのやり方です。たとえば“function”という単語は普通は機能とか役目とかいう意味ですが、トピックが数学なら第一義が関数です。同じ“I am sorry.”でもめったに言わない人なら重みが違います。“I really wanted to join you for the party, but ….”(本当にパーティーに行きたかったのですが…)という文が文字通りの意味なのかどうかはtop-down processing、つまり言外の意味を取ること、でしか判断できません。
このように、bottom-up processingとtop-down processingは相互に強く依存し合っていますが、更に一般論としてanalytic/local abilitiesとholistic/global abilitiesの間には強い相互作用が有ります。この両側面に習熟する為にも、automaticityの項で述べた「慣れ」は欠かせません。
これまでに、implicitとexplicit、localとglobal、analyticとholistic、bottom-upとtop-downなど、知識や能力や技能を表わすことばで対をなすものが多く出てきました。これに加えて、練習のフレームワークの中核として、この本ではもう一つの対であるintensiveとextensiveを考えます。
Intensive(精)とExtensive(多):きかい的v.s.りかい的
「精」と「多」の併用です。英語はともかく日本語では、精読・多読(Intensive Reading, Extensive Reading)という対句はあっても、精書・多書、精聴・多聴、精話・多話とはもちろん言いません。しかし、ぼくはあえてこれらの不細工な表現にも市民権を持たせています。
「精」の方は正確さに気をつけ、詳細を解析的に検討し、必要なら結果をネイティブスピーカー等にチェックしてもらいながら、じっくりと勉強するものです。目的は正しい英語運用力をつけるためのきめ細かい学習をする事で、Analytic/Local Abilitiesの養成とExplicit/Declarative Knowledgeを身に付ける事が目的です。Meaningful Input, Meaning-Focused Output, Focus-On-Form, Interactive Language Useすべてにあてはまります。主にBottom-Up Processingの関与する訓練で、「精読」がまさにこれです。このきめ細かい勉強バージョンを、ぼくはりかいてきアプローチと呼んでいます。
一方「多」の方は正確さを犠牲にしても、全体のリズムや慣れを重視する訓練です。多くの英語に触れること、英語をどんどん使うことによって、Holistic/Global Abilitiesを養成しImplicit/Procedural Knowledgeを身に付けます。詳細は無視します。Meaningful Input, Meaning-Focused Output, Fluency Development, Interactive Language Useと、Focus-On-Form以外のすべてにあてはまります。日本人の最大の課題であるAutomaticityの養成もこれですし、英語を話すための筋トレは断然「多話」です。Bottom-Up ProcessingとならんでTop-Down Processingを鍛えます。これはとにかく無心に量をこなすので、きかいてきアプローチです。
例えば、会話における「英語らしさ」を培うには、語彙や精確な表現等の基礎固め(精話)とともに、英語への慣れ(多話)が欠かせません。このように、英語学習では両者の併用が必要かつ効果的なのです。
ぼくが純粋科学系の人間であるという事と無縁ではないと思いますが、この本はかなり理屈っぽい本です。言語の学習をできるだけ論理的に理解しようとするのが目的であり、理詰めの学びの根幹はそこです。しかしながら、本来人間は感情や主観に非常に左右されやすい生き物であり、数学ならともかく、言語の使用や学習においてそのような要因を無視することは不可能でしょう。ここでは、感情や主観の問題をMotivation(動機)、Affective Factors(情意要因)、そしてFace Validity(額面妥当性)の側面から見てみましょう。
Motivation
動機にはIntrinsic Motivation(内因動機)とExtrinsic Motivation(外因動機)があります。内因動機とは、言語能力を高めることそのものに、やりがいや意義や喜びを感じてやる気になること、外因動機とは、仕事、金、親の圧力、英語の書類を読む必要性など、外的要因が理由で英語を学ぶ気持になることです。「英語が好き」とか「英語がやりたい」というのが内因動機、「英語をやらなければ」の方は外因動機ですね。もちろん両者が混在することも多いようです。一般的には、内因動機の方が外因動機よりも強力に英語学習を後押しすると言われていますが。どうなんでしょうねえ。「おもしろいからやろう」(内因)より、「これを覚えないと銃殺だ(旧ソ連のスパイ訓練)」(外因)の方が強いように思うのですが、どうですか。(笑)いずれにせよ、研究者達が何を言ってもめげる必要はありません。現にぼくは、サイエンスの勉強がしたいという、100%外的な要因がすべての始まりでした。
Affective
Factors(情意要因)
動機よりももっと幅の広いものが、情意要因です。動機意外に、内向性・外向性などの本人の性格から、言語に対する思い、言語学習への不安、熱意、無関心、興味、そしてその時の気分までありとあらゆる要因が含まれます。性格は簡単には変わりませんが、気分は一過性のものですから、情意的な要因は常に揺れ動いていると考えられます。具体的には、内向的で恥ずかしがりやであればなかなか口を開けないとか、アメリカにあこがれていればもっとやる気が出るとか、自分に出来るか心配だと勉強に身が入らないとか、この情意的要因はさまざまな形で学習に影響を与えます。
Motivationにせよ、Affective Factorsにせよ、読者の皆さんの感情的・主観的な部分を、著者のぼくがコントロールするのはなかなかたいへんですが、ひとつだけぼくがちょっと自信を持っていることがあります。Face Validityです。
Face
Validity(額面妥当性)
本来Face Validityとは、受験者が試験を見て妥当な試験だと思うかどうか、その程度を表わすものです。しかし、ここでは学習者が学習法を見て有効な学習法だと信じるかどうか、そのレベルを表わす目安として使っています。たとえば、英作文力を判定すると銘打った試験が、すべて口頭で行われたとすると、受験者から見たFace Validityは非常に低くなり、本気で受験しようとは思わないはずですね。同様に、学習法が有効では無いと感じれば、最初から本気で取り組もうとも思わないのではないでしょうか。ですから、読者の皆さんにこの本の学習法の有効性を信じて頂かないと、著者のぼくとしては非常に困るわけです。
そのためのぼくの戦略はただひとつ。皆さんに大人の英語学習はどういうものであるかを説明し、最新の研究や調査の結果をお知らせし、ぼくのやり方が理に適っていることを納得していただくことによってFace Validityを高めることです。最初に英語学習のフレームワークについて、こんなにたくさんのページをさいて説明したのは、すべてその目的のためでした。お付合いありがとうございました。
まとめ
日本人の英語の知識はdeclarative knowledge(陳述記憶)が中心で、procedural knowledge(手続き記憶)が非常に貧弱です。これはつまり英語の運用能力は無いという事です。実際に英語を使う力を培うのに有効なのはThe Four Strands Plus Oneで、Meaningful Input, Meaning-Focused Output, Form-Focused Learning, Fluency DevelopmentそしてInteractive Language Useがその核になります。
特に日本人に欠けているのはFluencyですが、その為のkeyとなるAutomaticityは、10,000時間以上もの英語学習・使用によってanalytic abilities(解析的能力)とholistic abilities(全体的能力)を総合的・統合的に発達させることによってのみ可能となります。
さて、この本で目指すのは総合的な英語力ですが、自らの英語のレベルはどのように図れば良いのでしょうか。その為の単純明快なフレームワークがAFCと呼ばれるものです。
英語力の三要素:Accuracy, Fluency,
Complexity
四技能と言うのも英語力の一つの見方ですが、インプットやアウトプットの質と量に基づいた、技能別ではない英語力の判断基準があります。これがAFCで、それぞれaccuracy(正確さ)、fluency(流暢さ)、complexity(内容の高度さ)を意味します。元々はアウトプットについての判断基準だった様ですが、僕はインプット・アウトプットの区別無く、AFCを基準として使っています。順に説明しましょう。
Accuracy(正確さ)
これは文字通り内容の正確さです。書いたり話したりする場合であれば、アウトプットの正確さですが、アウトプットの正確さには二つの意味が有ります。一つは文法的正確さであり、これについては言及するまでも無いでしょうが、曲者は二つ目の正確さで、伝えたい或いは表したい意味が正確に表せている事です。文法的には完璧でも、本当に言いたい事とアウトプットの英語としての意味にズレがある様では、真なる正確さではありませんね。同様にインプットの処理の正確さにも二つの側面が有ります。一つは音を正確に取り、文を正確に読み、表層的な部分で文意を正しく捉える力、もう一つは、各文や各表現の字面の裏に有る話者や書き手の真意を捉える力です。言外の意味を察するとか、行間を読むとか、そういう高度な技も入って来ますので、accuracyを極めるのは容易ではありません。表層的な正確さはFocus on Formの訓練だけでもかなり出せるようになりますが、そのレベルを超えた正確さについては「英語と言うものがどういうものか」と言うレベルでの理解が必要になりますので、最初は先ず表層的正確さをターゲットにすべきでしょう。All aroundな正確さは、様々な形での豊かな英語使用経験によってのみ培われるものであり、非常に長い時間を要するのが普通だからです。勿論、このレベルの正確さについては、ネイティブスピーカーでも完全ではありません。
このaccuracyをbottom-up的に見てみると、単語レベル・表現レベル→文レベル→パラグラフ以上のレベルとなっており、レベルが上になればなるほど表層的な正確さから離れてゆくと言えます。因みに各レベルで留意すべき主な事項を具体例と共に示すと以下の通りです。
単語・表現レベル
u 語彙不足
u 単数・複数:informationsは×
u 時制
u 動詞の変化等:主語との不一致多し
u 前置詞:in
campus, a meeting in Kyodai
u 冠詞(冠詞の監視):before I went to bed
u 慣用表現:We will not meet next week. We need some height technology here.
文レベル
構文・文法
Paragraphレベル
文の組み立て・文の流れ
Fluency(流暢さ)
“Greed, for lack of a better term, is not a bad thing”とは、Michael Douglasの有名な台詞ですが、fluencyを「流暢さ」としているのも他に適訳がない(for lack of a better translation)からです。日本語で流暢と言うと普通は話す事ですが、ここで言うfluencyはインプットにもアウトプットにも使われます。
質と量の観点から非常に単純に言うと、正確さが有ってもスピード(量)が伴わなければ、また正確でも流れ(質)が悪ければ言語能力が高いとは言えないと言う事です。「流れ」の方は非常に高度ですので、後程再び触れるとして、ここではスピードの御話をしましょう。形として現れるのはスピードと言う定量的な違いであっても、実はfluencyの有る無しを決定付けるのはインプット・アウトプットの際の言語の処理の仕方における定性的な相違です。
一つは検索の問題です。頭の中の語彙の引き出しから単語や表現を引っ張って来る(retrieve:アウトプットの場合)あるいは脳内の辞書で単語や表現を調べる(lookup:インプット)スピードは実は検索のスピードではなく、データベースの作られ方に依存するところが大きいのです。即ち、単語や表現をばらばらにメモリーに入れておくのではなく、似通った物や一緒に使われる物を纏めて一つの引き出しに入れる様な整理整頓が出来ていないと、そういう定性的なパーフォーマンスの向上は望めないのです。例えば、アメリカ人が友達に会って“Hi! How are you?”とか“What’s going?”と言う場合ですが、当然ながら彼らは単語一つ一つから、つまり一からこう言う作文をしているのではなく、こう言う挨拶全体が一つの単語のようにひと纏まりのユニットとして保存されている訳です。
更には処理への慣れの問題が有ります。例えば受身形を使う時に、受身はbe動詞プラス過去分詞だからと考えて話すアメリカ人は居ない訳で、そういう処理が自動的(auotmatic)になされるのがネイティブスピーカーと言うものですが、これをautomaticityと呼んでいます。Focus on Formの学習で身に付けた物を、Fluency Developmentを通して自動的に使える様になってこそ、真の英語力なのです。Automaticityにはこの様な構文力に加えて、その上位機能としての文や表現の状況に応じた適切な選択と言う側面もあります。例えば、受身形を使った方が良い場合には、自然に使うのがネイティブであって、受身形を使おうと言う意識的判断や、もっと突き詰めれば使っている構文が受身形だと言う認識は、正にプロセスが自動化されていないノンネイティブに特有の物です。
留学生達にとって「てにをは」程難しいものは無いようですが、日本人なら「僕が青谷です」と「僕は青谷です」の使い分けなんて当たり前ですね。理屈は有ると言えば有るのでしょうが、こういう選択は考える様なものではないですよね。人生にはもっと難しい事や考えても分からない事が有り過ぎるほど有りますが、この「てにをは」はその一つではありません。これくらいで考え込んでいたら、日本語の普通の会話もさぞ大変でしょうねえ。自動化とは正にこういう物ですので、いかに大切かお分かり頂けるのではないでしょうか。
路線の多い大都会ではそうも行きませんが、田舎のバスの運転手の中には、毎日毎日何十回も通る道なので、目隠しをしていても終点まで行けると豪語する人が居るのだそうです。この様に「いつも通る道」が無数に脳内に出来ている状態、それが理想です。本当にそう言う回路が出来るのかどうかは分かりませんが。
尚、この様に書きますと、ひたすら練習して吸収するのが大切で、文法の学習の様なFocus on Formは必要ない、更には有害だとさえ感じられるかも知れません。実際、英語教育者の中にもそういう事を言う人が存在します。文法の知識等は邪魔だと言わんばかりです。しかし、既述の如く大人に子どものような吸収は無理ですので、文法を含むFocus on Formはautomaticityを達成する為の過程で絶対に必要です。更にネイティブスピーカーでも文法を調べたり辞書を引いたりする訳ですから、automaticに出来ても文法の知識は決して有って邪魔になる物ではありません。
Complexity
京大で英語を教えているアメリカ人の先生が「京大生は賢いだろうに、どうしてあんな小学生の日記の様な文を書くのだろう」と嘆いていた事があります。英語で書かないといけなくなると急に文が幼稚になってしまうというのは、僕自身が経験済みですので驚きも嘆きもしませんが、確かに内容が伴った英語は大切です。いかに正しくていかに流暢でも、つまりaccuracyとfluencyがあっても、子供の英語では話になりませんよね。自分の年齢や知識やトピックに相応しいレベルの英語と言うのがcomplexityの基本で、つまりは日本語で出来ることを同じレベルで出来るかどうかと言うことです。
ここで言うレベルには二つの側面が有ります。一つは表現や言葉の選択のレベル、もう一つは内容のレベルです。言い換えれば、自分の年齢や知識や話の内容に相応しい英語が出せるかどうか、また自分に相応しい高度な内容も英語で扱えるかと言う事になります。
我々の目標は「教養あるネイティブスピーカーと不自由無く英語で意思疎通が出来る」事ですので、complexityが必要なのは当然ですが、教養や専門性云々はともかく、大人の英語使いになる事は絶対に必要ですね。
大人の思考に英語が付いて行かないと言うのは、英語を母語としない人にとってはある意味当然とも言えますが、この思考とcommunication能力のギャップが大き過ぎると、「そちらなら英語で言える」という理由だけで自分の考えとは違った事を言ってしまうといった事態も起りかねません。僕が「これなら言える」症候群と呼んでいる問題で、complexityの問題がaccuracyの問題に波及する例です。経験者は語るですが、これは本当に欲求不満がたまります。「不満がたまってたまらない」なんて駄洒落を言う暇があったら、しっかりと英語力を高めてcomplexityを身に付けてください。勿論こういう問題はインプット・アウトプットを問わず生じて来ます。難しい文やスピーチの理解でつまづく人は、インプット処理のcomplexityに問題がある人ですね。
さて、上記はcomplexityとaccuracyの関係の一例でしたが、complexityとfluencyの間にも相関があります。レベルの高い事や込み入った事を言おうとするとfluencyが落ちると言う、ネイティブにも避けられない当然の負の相関ですが、処理能力や容量の問題でノンネイティブではこの傾向が特に顕著になります。つまりautomaticityの側面が弱いために、注意を払う事が多過ぎて頭が飽和状態になる現象です。
最後にavoidance errorの話をしましょう。現象的には「これなら言える」症候群とやや似ていますが、accuracyに拘るあまりrisk-taking(冒険)が無く、確信が持てない単語や表現を回避(avoidance)する結果言うべき事が十分言えていないと言うのがavoidance errorです。要するに「これは言わない」症候群ですね。ところで、avoidance errorに対してavoidance strategyという物があり、こちらの方は間違えそうな単語や不確かな表現の使用を避け、自分が正しく言える言い方で言う事です。つまり別解を見つける力で、これはポジティブな意味で使われます。
この様に様々な側面を見て来ると、accuracy・fluency・complexityが三位一体となって初めて真っ当な英語力だと言うのが良く分かりますね。