自転車・Motorcycles危険運転について

文責:青谷正妥(あおたにまさやす)

 

過去数年に亘って、自転車の場合には無灯火や歩道での並走を中心に、自動車やバイクの場合には進路妨害等歩行者優先の原則の無視と、学内でのバイクの走行(京大の学内ではバイクの走行は原則全面禁止)や自動車の駐車違反を中心に、「法律を守れ」「規則を守れ」と言い続けて来ました。

 

数の多さが主因だと思いますが、自転車の無謀運転を中心に、最近では地域住民から京大の教職員に、無差別に抗議の電話が掛かります。少なくとも僕が受ける電話は紳士的で、名前も名乗られますし「小学校やないのに、先生にまで電話して申し訳有りません。警察にも公安にも電話はしているのですが、十分な対応はして頂けず、仕方無く先生方にも御掛けして居ます」と言う感じの丁寧な電話です。しかし、向こうが丁寧で有れば有る程、申し訳無く、情けない気持ちで一杯になります。

 

家庭教育なのか、人類の遺伝子の全般的劣化(自分で意味が良く分かりませんが)なのか、中高年の我々や、そのちょっと上の所謂団塊の世代が悪いのか、理由は全く分かりませんが、主に子供達と御年寄に怪我をさせていると言う現状は、本当に赦し難い物です。

 

その憤懣を、やや支離滅裂に書いたのが以下です。この件では、学生さんの御父兄と電話で話して指導を御願いした事すら有ると言う、今やそう言う大問題に発展して来ています

 

1.        兎に角、他人に危ない様な運転は問題外。法律で禁じていなくてもそうである。

2.        しかし、そう言わないと分からない人には、「成文法の法治国家において成文化された法律の違反は最低限止めろ」即ち、「犯罪は止めろ」と言うしかない。

3.        多くの人間が規則を破れば、自分も破ってもよいのではなく、極稀に出来損ないが居て規則違反をするのではなく、多数が規則違反を常習的にするのであれば、問題の根はより深い。

4.        法律に反対であれば、法を変えようとする努力をする権利は誰にも有る。但し、成功するかどうかは別問題で有るし、実際に変わるまでは当然現行法を破ってはいけない。

5.        実際には、法律は最低限であって、法を守っただけで、善良な市民として十分である訳ではない。法の遵守は単なる必要条件であって、当然十分条件ではない。

6.        確かに完全な規則・法律や網羅的な規則・法律は無理であるので、破らねばならない状況(例:人命に拘る場合)等は有るであろう。但し、これらの件はそれには当たらない。

7.        更に、如何に善良な市民たらんと努めていても、過失(意図的ではない違法行為)が発生する事は有り得る。全ての法律に通じている事は不可能であるし、当然うっかりしてしまう事も有るであろう。

8.        しかし、本件は故意犯罪であり、過失には当たらない。よって、尚悪い。

9.        法学者に「生まれた時に既に出来ていた法律、つまり自分が制定に参加しなかった法律に従う義務は無い」と主張する人が居る。青谷は必ずしもこれに反対ではないので、そこまで信念が有っての行動であれば、一定の理解は示す用意が有る。しかし、青谷本人に(も)危害が加わる場合には、この限りではない。

10.    最後に周辺住民より教職員にat randomに苦情の電話(交通関係が最多、次は騒音)が掛かって来る事、そういう意味で、教職員も迷惑を蒙っている事を付け加えておく。

11.    実名で堂々と違反をするのであれば、信念・信条であるが、罰されないから・逃げられるからやると言うのは、虫けらである。

12.    序に、顔が刺す等々の理由で、違反者を見逃している人々も同様にいけない。

13.    ところで、歩行者が居ないのではなく激減したのである。

 

13番には説明が必要です。これは京大周辺の歩道の話で、嘗ては昼間でも夜でも散歩される御年寄や、犬を連れた子供等が沢山通っていました。しかし最近は、そういう人達は裏通りに追いやられ、大通り沿いの歩道等の人通りはめっきり減りました。確かに、歩行者が少ないので、少々無謀運転でもあまり危なくない様に見えます。でもこれは、自転車が怖くて年寄りや子供が居なくなると言う、絶対に『歩道』に起こってはいけない現象が起こっているだけなのです。

 

今は、以上です。

 

青谷正妥(あおたにまさやす)